父の亡くなった59歳に…

皆さま、色々な方法で誕生日のメッセージありがとうございます。また、日々応援いただいている皆さまにも感謝です。そう、今日で父の亡くなった年齢に追いつきました。いざ自分がその年齢になると今ここで人生を終えるのはさぞや悔しかっただろうなという事を考えます。
誕生日は両親に感謝する日であると誰かが言っていたので今回は父の事を書きます。

父は建設省の砂防の技術者でした。近畿地方建設局に所属し、近畿のあちこちに転勤し私たち家族もそれに連れられ転居を繰り返しました。しかし、父は農家の長男でもありましたので当時は半ドンの土曜日午後から実家の滋賀に戻り農作業をし、日曜の夜もしくは月曜の早朝に勤務地に戻りそのまま出勤しました。私たちに家族も父と共に帰省し週末を滋賀で暮らすという二重生活を続けました。そんな無理が体に影響したのか30代半ばから入退院を繰り返し短い命となってしまったと思っています。

若い頃勤めていた瀬田川砂防工事事務所信楽出張所前にて。向かって左端が父、一緒に写っているのは恐らく同僚の皆さんだと思われます。
私のこれからの人生、両親の分も長生きして世のため人のため、そして自分や家族のために謳歌していきたいと思います。

近畿各地でこのような砂防ダムを建設して回っていました。信楽の神山にある砂防ダムのようです。

