どうする家康“伴与七郎”のこと
NHKの大河ドラマ『どうする家康』今日の7話は一向宗の話でしたが、5話、6話で忍びが登場して俄然面白くなってきました。それも甲賀流忍者をカッコよく採り上げていただいて甲賀市民としてはとてもありがたいと思っています。甲賀をちゃんと「こうか」と発音して頂いてる点も流石NHKならではといえるかもしれません。
ところで伊賀の服部半蔵を助太刀する甲賀衆を率いる人物が“伴与七郎”という名で「おやおや⁉」と感じられた甲賀市民もいらっしゃるのではないでしょうか。甲賀で“伴”と云えば伴谷の伴、歴史の教科書で学んだ大伴氏の流れをくむ伴氏関連の人物かなと調べるとやはりその辺りを採り上げているページがいくつもありました。
https://rekishiya.com/ban_yoshichirou_koukaninja
で、我が家に残る古文書に記されていた伴家の家系図の伴資家の欄にこの時の史実、伴一族80余人が鵜殿氏と戦って鵜殿氏の兄弟を人質としたことが書いてあるような…どなたか古文書に詳しい方がいらっしゃったら助けてください。“与七郎資定”の記述もあります。もしかしたら大発見?

下記は甲賀市史編纂室で翻刻いただいたこの部分の記述です。
「資家」の代、徳川家康に味方して鵜殿氏を討ったこと、また織田信長が本能寺の変で倒れた時、伴家嫡流正林も討ち死にして嫡流が絶えかけたとの記事がある。
資家
太郞佐衛門尉・上野介・号大隅守
母ハ左京進兼乗ノ女、
初而東照神君奉称徳川蔵人允元康公節、正親町之院永禄五壬戌秋被政(攻)三河国蒲形之城主鵜殿藤太郎長持ヲ、于時大隅守資家同姓中務丞勝長・同与七郎資定、其外伴一族八十余人赴于三河テ与松井左近忠次共ニ責落シ、於蒲形ノ城ニ討捕城主長持首也、其子長照・長則兄弟亦生捕之預御■也、此節信康君質駿符(府)テ今川家石川数正憂之、謀略テ信康君ト鵜殿兄弟ト為人質ト替、則信康君ハ三河ニ御帰座、鵜殿兄弟ハ被遣今川氏直ニ、従是後石川ト伴一堂(党) 相睦シ、天正年中夏六月於洛東本能寺ニ信長生害ノ節、同■(姓)正林相■当賊軍ニ討死シ畢、到テ茲嫡流絶かケ、往昔大隅守資景従足利家所賜之旗ト太刀代々氏之社ニコメテ氏族伝誅ス之、

